Tagiru.のストーリー
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Tagiru.は、代表・伊藤修司が2022年1月にスリランカにオープンした、本格的な長期滞在型アーユルヴェーダ・リトリートホテルです。
そのオープンに至るまでには星の数ほどの困難や、仲間たちとつくってきたドラマがありました。なぜTagiru.をスタートしたのか?その道のりには何があったのか? そのストーリーの一部を、お届けします。
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29歳、青天の霹靂。
ある日突然、難病になった
「病気」がすべてのきっかけでした。
2014年。29歳の僕が東京で働いていた頃の、ある火曜でした。仕事中、突然体に強い痺れを感じたのです。びっくりして仕事を早退し、足をひきづりながら病院へ向かいます。
そして、医師は開口一番に
「今すぐ救急車を呼びます」
「‥えっ??」
全く状況のわからぬまま救急用ベッドに寝かされ、大病院に運ばれたのです。
茫然とする中、入院して数日後に診断されたのは神経系の難病でした。そのまま車椅子生活になり、一時は喋ることも困難になるほどに体の痺れが進行しました。その時抱えていた、あらゆる仕事も、人生の計画も、突然、完全に停止することになったのです。
「まさか自分が‥」
30歳を前にこんな大病になるなんて‥思ってもみませんでした。しかし体は動きません。痺れた手がさらに不安で震える中、世界が終わるような絶望感で[多発性硬化症 寿命]と検索した瞬間のことは、今でもはっきりと覚えています。出てきた画面を、直視することもできませんでした。
‥‥長く暗い3ヶ月もの入院生活を経て、退院。なんとか歩けるようにはなり、仕事にも復帰したものの、体力は半分以下に落ち、体も自由に動かず、健康だった過去の自分と比較し、悔しさを噛み締めながら生活していました。薬の大きな副作用にも苦しめられ、日夜ひとりオフィスのトイレの個室にうずくまることが日課になりました。
「こんなはずじゃなかった‥」
その後は何度も入退院をくりかえしながら、先の見えない4年間を送ります。「もうこのまま、一生変わらないのか‥」そう絶望しかけていました。
止まった時計が動き出したのは、2017年。33歳の初夏でした。偶然に仕事の出張で訪れた「スリランカ」で、運命的な出会いをするのです。
アーユルヴェーダとの出会い
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それが、アーユルヴェーダでした。
スリランカやインドに古くからある医療。日本では「エステ」のようなイメージにとどまっていますが、調べるとそれはあくまでほんの「一部分」にすぎず、現地では「6年制のアーユルヴェーダ医学部」があるほど国に認められ、人々の生活にも深く根付いているものとわかりました。
僕らは生活の中で、「熱が出たら薬でおさえこむ」ように、”表層”にただ反応して生きることに慣れきっています。が、アーユルヴェーダでは常に”深層”の「その人の体質」や「不調の根底的な原因」に焦点を当て、生活のあらゆることからケアをするのです。
直感的に、惹かれました。
「何か大きく発想を変えないと‥」と、もがいていた時でもありました。そこで思い切って1ヶ月、スリランカのアーユルヴェーダ施設へ治療をしに行ったのです。
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その結果...
症状の「強い痺れと疲労感」が大きく回復したのです!
そして同時に。心身の感覚や思考が澄みわたり、「生きている感覚」が、戻ってきたように感じました。体の内側にある泉から、こんこんと湧き水が湧き上がるような、人生ではじめて出会ったこの感覚への感動が、私がTagiru.をはじめるに至った原点です。
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「自分の手で、ホテルを運営したい」
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スリランカでの体験に感動した私は、ごく自然に、自分の手で、アーユルヴェーダの施設を運営したいと思いました。詳しくは本稿の後半に譲りますが、自分のこれまで歩んだ人生の、大きな巡り合わせのようなものを感じたのです。一度決めるといてもたってもいられなかった私は、帰国してすぐ、アーユルヴェーダを深く学び始めながら、その検討を始めます。
最初は、日本に施設をつくれないか?と考えました。しかし日本では医療の法律により、現地からアーユルヴェーダのドクターが来て、今のTagiru.で行っているような最も本格的な施術を行うのは難しいとわかりました。困難にぶつかると人生では常に「自分にとって大切なことは何か?」と問いかけられます。私にとって大切なことは「本格的なアーユルヴェーダをそのままの形で行うこと」だと考え、日本ではなく「スリランカ」にオープンすることを選んだのです。
…さて。
そう決めたものの...事業をスリランカで行うには、現地のパートナーが必要です。ひとりで実現できるほど甘いものではありません。そこで、私が治療のために滞在したホテルのオーナーの協力を仰ぎ、一緒にプロジェクトを立ち上げることにしました (彼は今に至る大切なTagiru.の仲間です) そこからは、身銭を全て切るのはもちろん、出資者やデザイナー、建築家などの、プロジェクトに賛同して助けてくださる仲間を増やしながら、スリランカへの出張を何度も繰り返しました。本当に牛歩のように一歩一歩、積み上げて行きました。
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その過程では、一度は決まった土地の計画がひっくり返って白紙に戻ったり、スリランカに大きな経済危機が起きたり、多くのトラブルがありました。それでも一歩一歩、前に進んで行きました。しかし、それらをも覆す、大きな壁がたちふさがることになったのです。
「新型コロナ」がやってきた
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約2年に渡って新築のホテルの準備を進め、念願の工事に着工したまさにその瞬間、「新型コロナ」がやってきました。2020年1月のことです。スリランカでもロックダウンが実施され、私も滞在していたホテルから一歩も出られなくなりました。
そのまましばらくはスリランカにいましたが、世界中で感染の勢いは止まらず、残念ながら帰国をすることに決めます。プロジェクトの全てが、止まってしまいました。
それからは丸々1年日本にとどまり、その間に、最愛の娘も生まれました。世界の情勢に絶望しながらも、ホテルのことは諦められず、他の仕事をしたり、新たな事業を練ったりもしながら、長い長い日本での時間が過ぎていきました。
スリランカに再び来られたのは、2021年4月です。当時はパンデミックの真っ最中。日本への帰国時は10日間のホテル強制隔離などもあった中で、世の流れに逆らい、感染に気をつけながら何度も往復をして、プロジェクトをどうするかを考え続けました。
「自分が病気を治した場所」
を引き継ぐことに
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運命は本当に存在するのかもしれません。元々計画していたホテルは停止を余儀なくされましたが、現地パートナーと議論を重ね、なんと私が、自分の病気を治したホテルを、引き継ぐことになりました。
私にとって「特別な場所」という言葉でも表現しきれない場所を、自分の手で運営すると決めた時は、なんだか運命によって自分がここに導かれたような、不思議な気持ちになりました。
…しかし、感傷にひたってはいられません。日本はまだ移動の制限が多い時期でしたが、ヨーロッパではアフターコロナの日常が始まっていました。
あらためて、目の前にあるホテルを眺めると、機能、清潔感、デザイン、サービス... あらゆる面で、よりよくできると思うポイントがたくさんありました。そこで、4ヶ月かけて大きなリノベーションを実施し (日本の建築家「o+h」に設定を助けていただきながらも、私が工事監督という前代未聞のリノベーションでした)、まずはヨーロッパ向けの告知をしたりして...。
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2022年1月、ついにオープンするに至ったのです。
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その4ヶ月は、私の人生の中でも最も多忙な時間でした。言葉の伝わらないスタッフに、工事の指示をして、その裏でマーケティング・法務・財務・採用などあらゆることをやっていくのです。オープンした今振り返ると、病気から回復しホテル・オープンに至るまでの4年は、自分にとって「人生1回分」の仕事をしたと思うほど、夢中になった時間でした。
オープン日はもはやほぼ記憶がありませんが、スタッフと記念写真を撮り、最初のゲストを迎えた時は、感動という感情を味わう余裕もなく、ただ倒れるように眠った記憶しかありません。
こうして、Tagiru.は始まりました。
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「コロナ禍に、なぜ海外でここまで頑張ることができたのか?」
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よく、こう聞かれます。確かに、途中で諦める理由は、いくらでもありました。それでも続けてきたから、今があります。最後にもう少しだけ、私自身の話をさせてください。
実は僕には、18才の時に「医学部を中退した」という原点があります。
きっかけは小学生の時に見た「途上国で働くお医者さん」のテレビ番組。大自然の中で患者に向き合う姿に心打たれ、実際に医学部にまで進学しました。
しかし進学後気づいたのは、「国境なき医師団」のような団体が寄付で成り立ち、ゆえに経済的独立性が低いことでした。そこで「経済・ビジネス」の世界に惹かれ、他の視点から途上国の課題を解決できないかと、経済学部に転向したのです。その後、アメリカのグローバル企業【P&G】そして「途上国から世界に通用するブランドをつくる」ファッションブランド【マザーハウス】で働き、29歳で、病気になりました。
「途上国を助ける」はずの自分 (今聞くと傲慢ですね) が、「現地の伝統医療に助けられる」という、天地がひっくり返るくらいの大転換に心揺さぶられた時に、「これは自分の使命かもしれない」と感じたのは、とても自然なことでした。だから何が起きても、実現するまでやってみようと思ったのです。
そしてもうひとつ。「一歩踏み出す勇気」をくれたのも、アーユルヴェーダでした。
思えば10代の僕は、前のめりで失敗を恐れない人間でした。
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それが20代。日々忙しく、自分のがこうしたいという意思と、設定された期待に応える”ハザマ”の生活を送る中で、顧みられることのなかった体はボロボロになって、結果、挑戦への意欲もしぼみ、自分を小さな枠の中に押し込めていたと思います。「生きている感覚」とはほど遠い状況でした。
アーユルヴェーダ施設への滞在を通じて一番驚いたのが、この「生きている感覚が、蘇ったような気持ち」になったことです。体がよくなるにつれて、「自分は本来、失敗を恐れず、ゼロから挑戦をしたい人だった」ということを思い出し、これからはその思いに正直に生きよう、と思ったのです。
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Tagiru.は、心身をあなた本来のバランスに整えることを通じて、ここに来るゲストの、正直な感情や記憶と出会える場所になれたら。そう願って、運営していきたいと思います。
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2023年1月、
オープンから1年を迎えました
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オープンから1年。本当に色々なことがありました。その間にした失敗の数は、数え切れません。
一方で、クラウド・ファンディングを実施し、多くのみなさんの応援に支えられ目標達成ができたり。そのご支援をもとに、インフィニティ・プールを竣工することができたり。試行錯誤の運営を続ける中で、Tagiru.が「あなたの人生で、1番リセットされる場所」になっていくための、自信を得ることもできた1年でした。
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38歳の誕生日を迎えた10月。スタッフとゲストのみなさんに誕生日を祝ってもらった時は、1年前の未来への不安に押しつぶされそうだった自分を思い出し、本当に、感無量でした。
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人生とは本当に面白いものです。医者ではなく、医療施設を経営する経営者になりました。途上国の人を助けるのでなく、日本やヨーロッパなどの先進国の、今までの人類が体験し得なかった「現代」を生きる人たちにとって、健康とは何か、生き物である自分とは何かを問いかける場所を作ることになりました。
当初描いた未来とは変わりましたが、自分の人生の原風景「途上国のような、自然と人間の営みがむき出しに残された場所で医療を行なっている自分の姿」のイメージを思う時、こうしてスタートすることのできたTagiru.はこれからの長い道のりの第一歩であり、とても大切な場所です。
哲学であり、医療でもあり、事業でもあり、ブランドでもあるTagiru.
ゆえに、その多面性を両立させるために右往左往もがいて悩んだり、時には、その多面性自体が大きな飛躍をもたらしてくれたりもしながら (そうなるといいな...)、 常に揺れ動く世界情勢の中で、 色々な経験をしていくことになるでしょう。その中で、運営するホテルを増やしていったり、アーユルヴェーダにまつわるプロダクトや体験を、日本や海外に紹介していく、ということも考えられると思います。
「アーユルヴェーダを、当たり前の選択肢にする」
とても高い目標ですが、まずはこれがひとつの目標です。
そしてアーユルヴェーダは私自身に、ただ病気を大きく改善させてくれただけではなく、ここまで綴ってきたように、人生において、自分の「体質」や「ルーツ」を大切にしながら、「自分らしく生きる」ということが、いかに大切で、自然に沿っているを教えてくれました。
その自分に起きた変化を顧みると....現代という特殊な時代を生きる多くの私たちが、比較的幸福な環境で人生を謳歌しながらも、日々心身に不調をきたしたり、意味を失ったり、矛盾を抱えたり、空虚さを感じている部分と、どう向き合って生きていくかを考えていく、大きなヒントになるはずです。これを読んでくださっているあなたは、きっと、何かを創造・創作する方だったり、新しい社会をつくることに邁進されていたり、世の中の課題を解決しようとされている方だと思います。そういう人にこそ、来て、体験していただきたくて、Tagiru.をつくりました。
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未来のアーユルヴェーダのあり方を、この時代のリアルな人々の生き方を鏡に考え続けながら、今 関わっているスリランカ・日本・ヨーロッパという枠にとらわれず、より大きな目線で日々を生きる個人の体と心を見つめ、その人生感を揺さぶることのできるような場所や事業を、時間がかかっても生み出していきたいと思います。
願わくば、あなたにも伴走いただきながら!
Tagiru. 代表
伊藤修司
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